素直の手記

雑記ブログです。日々の思考の整理をします。今後テーマを絞るかもしれませんが、しばらくはまったりと。

本や新聞は絶対か?

こんにちは、Takumiです。

今日は情報媒体に関しての考えを述べます。
僕の悪い癖で堅苦しく書いてしまいました。
最後までお付き合いくだされば大変うれしく思います。

 


さて、巷では「本を読め、新聞を読め」という言葉が世の真理と言わんばかりに流布していますが、果たしてそれは正しいのか。
僕は日々疑問に感じています。

そもそも本や新聞は何のために読むのか。
情報を収集するため、知識に肉付けするため、知識の検算...
自分にない考え方や価値観、客観的事実を取り入れる、あるいは持っている知識の確認作業といったところではないかと思います。

本や新聞を読むことの定義が上記の通りだと仮定して、その効果を他の媒体で代替することはできないのか。

 

答えは“可能”です。

 

他の媒体というのは、いくつか挙げられます。
テレビ・ネットニュース、SNSTwitterフェイスブック等)、ブログ…
SNSの範囲が正確にわからないので、細々としたものは全てSNSに含めて考えています。

 

 

それではなぜ本や新聞の効果を他の媒体で代替することが可能なのか。

表現の形が違うだけで、中身は同じだからです。

もう少し正確に言うと、信頼度の高い媒体であれば、得られる効果は同じということ。

 

ここで言う信頼度とは、媒体の種類ごとの信頼度ではなく、もう少し細かく発信者単位で見た信頼度を意味します。
また、この信頼度は、受け取る側にとっての親和性・客観性によると考えます。

 

例えば、

・○○新聞と△△新聞が同一の事件について書いた記事
法律学者の○○さんと△△さんが憲法9条改正について書いた書籍
・著名人の○○さんと△△さんが同一の事柄についての思いを綴ったツイート

 

新聞社ごと、学者ごと、個人ごとに思想は異なります。
当然受け取る側の思想も個々人で異なるため、自分の思想に合致した情報を発信する媒体が、その人にとって親和性の高い媒体となります。

 

一方、個人の思想とは合致しないものの、客観的に見たときに違和感のない情報を発信する媒体が、その人にとって客観性の高い媒体になります。
例としては、「思いもしなかったが、違和感のない発想」、「思想抜きにして事実を正確に伝えている情報」といったものかと思います。

 

両者を合わせたものが受け取る側にとっての信頼度と考えます。

 

 

少し掘り下げます。
なぜ親和性・客観性という2つの要素が必要なのかというと、一方のみだと偏った思想、あるいは没個性になる危険性があるためです。

 

親和性が高いということは、発信者と同意見であることによる安心感や自分では言葉にできなかったことを表現してくれたことによる親近感が芽生えることではないかと思います。
この場合、自分の思想の守備範囲を超えないので、傾倒しすぎると新たな視点を取り入れる可能性が低くなり、結果として偏った思想になりかねないと考えます。

 

また、客観性が高いということは、フラットな目線で物事を捉えることができる、多角的に物事を考えることができることではないかと思います。
一見すると何も問題がないような気もしますが、客観性だけでは、個人の軸となる思想が成熟されないおそれがあります。
つまり、“自分にとってその事柄が何を意味するのか”が曖昧になってしまうため、没個性の状態に陥ってしまうと考えます。

 

したがって、両者のバランスがとれた媒体が信頼度の高い媒体と言えるのではないでしょうか。

 

 

本題に戻ります。
本や新聞であっても、その他の媒体であっても特定の誰かが書いていることには変わりがありません。
表現する形が違うだけであって、中身の評価基準は同じはずです。
本や新聞であったとしても、とんでもなく頓珍漢なことが書かれていることは多々あります。
媒体によらず、書かれている内容で平等に評価されるべきと考えます。

 

一昔前であれば(といっても何十年も前でしょうが…)、ある程度オフィシャルな情報発信源は本や新聞に限られていたので、「本や新聞を読め」は、ある程度説得力があったのだと思います。
また、現在発言力を持っている層というのが、本や新聞に慣れ親しんだ世代であることも、本や新聞が必要以上に神格化されてしまっている一因ではないかと考えます。
それに伴い、時代の流れに順応して考え方を変えることができていない継承世代にも問題があります(自戒の念を込めて。)。

 

今や情報媒体は多岐にわたっており、その発信内容も玉石混交となっています。
一つの媒体にこだわるのではなく、あらゆる媒体において、個々人にとって信頼できる情報源を確保しておくことが重要ではないかと考えます。

 

したがって、必要性を感じないのであれば本も新聞も読まなくてよい。
自分のとって有益な媒体から情報を収集せよ。

 

 

以上。

 

 


〈あとがき〉
以前Twitterにも書いた内容を掘り下げて書いてみました。
現時点では自分自身の考えも定まっていないため、抽象的な部分については、今後追記や修正をしていこうと考えています。

 

1点言い訳的に補足させてください。
「本や新聞に慣れ親しんだ世代」というように世代で括ってしまいましたが、その側面もあるのではないかと考えるだけで、責任転嫁する意図は全くありません。
実際、その世代の方々の発信する情報というのは僕自身が大変重宝しています。
本来物事を属性で括るのがとても嫌いです。僕の表現力の乏しさによるものですので、補足として記載しました。

 

最後に僕にとって信頼度の高い情報発信者を紹介します。
なお、親和性・客観性どちらに寄っているかで書き分けます。
(敬称略)

 

(親和性)
堀江貴文森博嗣

(客観性)
勝間和代齋藤孝、落合陽一、佐々木俊尚佐藤優


あえて分けるならどっち寄りかで考えました。
どちらの要素も満たしており、総合的に判断して信頼度が高いという方がほとんどです。
親和性については、上手く言葉にできない感覚をさらっと言葉にしてくれるという意味合いが強いです(到底自分の発想は上記の方々に及びませんので…)。


以上です。
最後まで読んでくださった方がいるかは分かりませんが、お付き合いいただきありがとうございました。
今後もたまにこういう文章を書く可能性がありますので、ご容赦願います(笑)


おしまい。